無職とは

雑記

無職は学生でも労働者でもない。生きるも死ぬも自由であり、社会に属していない存在である。 

日本では一般的に学生は社会人扱いされないが、学生も社会に参加しているという意見はある。だが、無職はどうだろう。先生からも上司からも指図を受けない。社会の何からも支配されない絶対唯一の存在なのである。

つまり無職は社会人ではない。

無職になって一ヶ月になる。4月になって携帯電話をネットとゲーム以外に使っていない。誰からも連絡が無いのだ。

人間は自分よりもレベルの高い人間と接することで成長すると言われている。あなたが健常側の人間だと考えてほしい。無職のレベルは0である。付き合いたいと思うだろうか。無職と関わるメリットはあるだろうか。何もしないのに人が離れていく。

仕事をやめる前には、退職したら一人旅に行こうなんて考えていたけれど、根がどこまでも出無精にできている上に旅先ですることも特に思いつかず、結局家の中が一番落ち着くという理由を付けて行かなかった。

無職期間で一番時間を費やしたのはブログだった。記事の内容よりも他の部分が気になって何度も修正を繰り返した。こだわりが強い性格なので細かくどうでもいい箇所ばかりが気になってしまう。ドメインを変更した時は作業に一日掛かった。前のブログの記事を検索させないようにするとかリダイレクトさせるとか、難しいことばかりで頭を抱えた。また一からのスタートになりアクセスも大幅に減った。ブログは振り出しに戻った。

その結果、何が変わったか。何も変わっていないのである。家族は口出しするわけでもないし、現実世界の人間たちも私がブログを書いたり消したりやってることを知らない。無職は社会に何の影響も与えていない。

仕事を生き甲斐にして退職した老人が孤独に耐えきれないのも分かる。社会との接点が断ち切られてしまうのだ。無職には圧倒的な孤独がある。そして自由がある。誰とも関わらないため自己有用感が消える。

スポーツで大声を出したりするのは精神力を高めて全身の神経に気持ちを入れ直す作業なのである。声を出さずに暗い部屋でキーボードをカチャカチャやってると鈍感になる。外に出ると時間の流れがとても速く感じる。

無職は無敵であるが故に弱い。この状況を支配して人は一流の無職になれる。無職は社会から外れた人間だ。ただ、新卒から就職して定年まで休みなく働くのは疲れる。

だから自分はほどほどが許されない息苦しい社会から飛び出した。誰もが気軽に無職になれる社会になることを願う。

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