いつかこの35年間を思い出してきっと泣いてしまう

人生

この世に生を受けて35年。時代は昭和から平成へと変わり、生まれた日には存在しなかった携帯電話やインターネットが登場した。社会が大きく進化を遂げたのに、35年間友だちも恋人もおらず、体だけ大きくなった気持ち悪い赤ちゃんがここにいる。

35年という時間は12,775日、306,600時間、18,396,000分、1,103,760,000秒である。気の遠くなるような時間が流れても性根がまったく変わらない人間がいるらしい。なぜこんな人生になってしまったのだろう。

自分はどんな子供だったか。人前に立つと顔が紅潮して足が震え、そのまま気を失っていた。大して健康でもない。運動神経がなく体育の時間はいつも笑いもの。ほどなくして体育の授業ではコートの隅に逃げている学生時代だった。

コミュニケーション能力に不自由があり、少し気を許した相手でも一度何かあると許せなくなり、こじれた人間関係は二度と修復できない人間だった。体育会系などの陽キャになれるわけでもなく、かといって陰キャのグループに馴染めるタイプでもなかった。

小学校時代はイジメにあい、中学校時代には無視をされた。サッカー部のキャプテンに階段でいきなり蹴られたのは今でも許すことができない。

高校は男子校だったので、比較的心穏やかに過ごすことができた。大学に入って人生が転落していくのがはっきりとわかった。社会経験が年齢に伴っておらずに大学デビューする度胸もなかったおれは地獄のような5年間を過ごしたのだ。テニスサークルで無視された。成人式で無視された。今でも思い出すと吐きそうになる。

大学が家から遠いのがつらかった。そのころ家には金がなく、下宿生活は許されなかった。「アルバイトして下宿する」と新しい一歩を踏み出していれば健常者になれたのだろうかと今でも思う。

おれが大学に入った2000年には、インターネットが一般の家庭にも普及するようになっていた。今では考えられないような古臭いホームページやフラッシュページが山のようにあった。しばらくすると、あるサイトにたどり着いた。それが『2ちゃんねる』だった。

掲示板なのに「氏ね」「逝ってよし」「オマエモナー」「age、sage」という訳の分からない言葉が飛んでいる『2ちゃんねる』は新鮮だった。大学が苦痛すぎてやめたいと思っていたおれは2ちゃんねらーになった。同い年のネ◯むぎ茶が社会を震撼させていた。

『2ちゃんねる』をしている時間はあっという間だった。大学に行かなくなったおれは新卒で公務員試験を受けたいと土下座して留年を許してもらう。実際は単位が足りないだけだった。公務員試験に合格できなかったおれは無内定で大学を卒業した。

その後、契約社員やアルバイトを経て現在に至る。年をとるたび近い記憶が薄れてゆく。どう考えても、健常者になれなかった人間が一発逆転できる可能性は0パーセントに近い。いつかこの35年間を思い出してきっと泣いてしまう。

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