2019年を振り返る

人生

2019年を振り返ると、個人的に大きな出来事はなかった。転職して1年がたってリズムが身についてきた。朝は5時に起きている。慣れると大したことはない。早朝出勤のメリットもたくさんある。通勤ラッシュに巻き込まれないし、朝の空気を吸いながら自転車で通勤することもできる。これで気づいたのだが、自分は通勤電車やスーツを着たサラリーマンが本当に苦手で嫌いなのだということ。毎日朝から同じ電車、同じ格好を着て会社へ行くことに何の疑問も抱かないのだろうか。真っ白になった髪の毛を染めることもせず「自分が会社を背負っている」みたいな顔をしたサラリーマンを見ていると吐き気がする。まあ、そういう人間だから健常社会の誰とも仲良くなれなかったのだろうと感じる。

仕事のほうも慣れてきて、今やってる分野では周りを説得させられるだけの信頼は得たと思う。難しい仕事ではないので、隙を見つけては手を抜いている。給料はおそろしく少ない。一番貰っていた年の半分以下になってしまった。しかしそれに代わるだけのものがある。人間関係で悩むことがほぼ無いし、仕事の話で同僚と揉めることが無い。思えば仕事を辞めてきた理由の大半は合わない同僚との衝突だった。異常に意識の高いやつ、他人の仕事に口を出してくるやつ、パワハラまがいの態度で接してくる上司。毎日そんなのと顔を突き合わせていたら辞めたいと思うのは仕方ない。この幸せ、何よりも人間関係をストレスに感じてしまう根っからの社会不適合者だった。

給料が少なすぎるため、プライベートでは我慢の日々が続いた。もともと物欲はあまりない人間なので、物が買えないのは耐えられたが、27,000円の住居手当のあった公務員時代に借りた家に住み続けること。家賃だけで給料がすっ飛ぶ。何もできない。無課金ソシャゲで脳を殺しながら毎日を生きてきた。だけど、それも終わりが近い。安い家に引っ越しをする目処が付いてきた。今の家は好きでも、見合う給料が無いので離れるしかない。住むのが無理なら引っ越すだけ。これができるのが賃貸の強みでもある。家を買ってしまえば余程のことが無い限り離れられない。仕事もやめられない。俺は数千万円も出して家を建ててしまう健常者の感覚が理解できない。健常者は家賃が払えなくなる日が来るのが怖くないのだろうか。まあ、そう思う人間だから健常社会の誰とも仲良くなれなかったのだろう。

仕事に余裕が出てきて自分を見直す時間も増えた。自分はどこまで行っても健常者の感性とは合わない。天の邪鬼ではない。俺は健常者のようにパーッと生きたい。友達を作って、恋愛をして、結婚をして、子供を作り、家庭を支えるガッツのあるお父さんになりたかった。でも何故かできなかった。努力が足りなかったのか。そもそも何を努力すればよかったのだろう。小学校でいじめに遭って誰も信用できなくなった。健常者が怖い。健常者の中に飛び込んでいく勇気を持てないまま37歳になった。今さら生き方を変えられない。もう無理なんだろうと思って諦める覚悟が生まれてきた。

それなら、誰とも関わらない人生が何よりも楽なのではないか。健常者へのコンプレックスを胸の底に押し込めて生きる。そうするしか生きる道が無い。何なんだこの人生は。次生まれ変わるときには健常者になれるように願いつつ、今の自分を愛して生きていく。少しずつ変えていこう、人生を。

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