先日、38歳で手取りが10万円の男性のツイートが話題になった。
このツイート、まず大学に行けたのか、公務員になれたのか、はっきりわからない。リプライを読んでいても読み手の反応が割と違っている。
結果として「大学に行って公務員にもなった」のだが、紆余曲折あって今は大学も公務員も関係ない手取り10万9000円の仕事に就いている。
父の願い「大学に行け」
「大学に行け」は父の願いだった。父は地方の私立大学を卒業したが、就職してからは学歴のことで苦労したようだ。どんな苦労があったのかは聞いてない。だが父は事あるごとに「学歴は一生ついてまわるぞ」と言っていた。
社会を知らない私は、父の言葉を信じて一生懸命勉強に取り組んだ。その結果、関西の国立大学に現役で合格する。私は父の願いを叶えたのだ。親戚の中でも自慢の息子になった。私も「自分は選ばれた人間だ」「受験競争に勝った」と自尊心が激しく高まっていた。
だが、幸福な時はすぐに終わった。あれだけ努力して入った大学に行くのが嫌になった。大学生特有のノリが嫌だったのか、友人ができなかったからなのか、勉強が難しかったからなのか、他にも理由があったのか、大学をやめたいと思うまでに時間はかからなかった。
通学途中の駅でフラフラと降り、そのまま家に帰ることもよくあった。無断欠席なんて今までしたことなかったのに。いつの間にか自分の中で何かが切れてしまい、輝く大学生活とはかけ離れた毎日を過ごしていた。
私は要領の良いタイプではなかったので、欠席した講義はしっかりと単位を落としていた。周りが順調に単位を揃えていく中、私は順調に単位を落とし続けた。手遅れになったのは3年生の時。卒業に必要な単位を4年間で揃えることが不可能になり、4年目を迎える前に留年が決定した。
研究室が忙しい、公務員試験に集中したい、あらゆる言葉を並べて留年の言い訳をした。親の前で涙を流して懇願した。学部で留年したのは私ひとりだった。学部で最下位の学生だと証明されたのだ。
大学生活の5年目はさらなる地獄が待っていた。就職活動をしながら卒業研究、とても両立できない。それを普通にこなしている他の学生が超人に思えた。私は完全にキャパオーバーになっていた。いつになっても内定が取れない就職活動に疲れ切って精神を病んだ。就職を後回しにして卒業研究に集中することにした。研究室を言い訳にして留年した手前、卒業できなかったらもう終わりだ。
この頃にはもう、自分は他の人間よりも能力が劣っている人間だと自覚するようになっていた。高校時代の快進撃は何だったのだろう。暗記だけで勝ち取っただけの虚構のプライド。社会の前では何の役にも立たない。大学に合格したときの全能感は跡形もなく砕け散っていた。
就職活動は全滅、公務員試験も全滅、卒業論文も思うように進まない。課題が出るたびに教官から怒られて、次第に見放されるようになっていた。
私が所属した研究室は厳しいと評判で、学生からの人気は低かった。人気のある研究室は希望者が多いため、競合した場合は成績の良い者から順に決定された。単位不足で留年した学年一位の落ちこぼれが成績勝負で勝てるはずもなく、希望の研究室には配属されなかった。
能力の低い人間が厳しい研究室に入るという悪循環。冬には気が狂いそうになって校舎から飛び降りることも考えた。教官の温情でなんとか卒業は認められたものの、無内定で大学を卒業。親からは人格を批判され、猛烈に罵倒された。去年は卒業に失敗し、今年は就職に失敗。どれだけ罵られても言い返すことはできなかった。
この5年間はいったい何だったんだ。不登校になり、就職もできず、友達も恋人もできなくて、何のために勉強したんだろう。今でも思い出すと泣いてしまう。本当にこの選択が正しかったのか、と。
いつかこの学歴が自分にとって掛け替えのないものになる。そう思うことはできなかった。ただ、どういう道に進んでいれば良かったのかわからない。
視野が狭く、社会経験の無い自分は親の言う通り大学に行くことしか考えていなかった。さらに不幸なことに、自分の人生に影響を与えてくれる人がまわりに誰もいなかった。人生にチャンス無し、コネも無し。私が掴むことができたのは親が垂らした一本の糸だけだった。
なぜもっと世界を見ようとしなかったのだろう。なぜ学歴があれば人生が楽勝なんて言葉を信じ切ってしまったのだろう。すべて自分の責任だが、息子の特性を見誤った親も悪い。今となっては何を言っても意味がない。
母の願い「公務員になれ」
「公務員になれ」は母の願いだった。社交的でもない、大胆なことをするでもない、そんな息子に向いているのが公務員だと思っていたのかな。堅実に生きてほしいと思っていたのかな。
私は中途採用された派遣社員を辞め、アルバイトをしながら通信教育で小学校の教員免許を取得した。ここでも無能を発揮して、最短2年で取れる免許に2年半を費やした。大学で留年したことを思えば半年遅れでゴールできたのは頑張ったほうだと言えるかもしれない。
教員免許の取得と並行して教員採用試験も受けた。一度目の試験は不合格だった。もともと一発で合格できるとは考えてなかったので、非正規の教員「講師」で働くことにした。
講師は正規に採用された教員が産休や育休、病気休暇で抜けた際に学校に補充される教員のことである。仕事内容は正規の教員とほぼ変わらず、待遇も公務員扱いになる。子どもから見れば同じ「先生」だが、職員室の中では明確に格下だ。自治体によっては学校だよりに「講師 ○○」と書かれる場合もある。
働きながら採用試験の合格を目指していたが、講師一年目、二年目…採用試験に合格できそうな気配はまったく感じられなかった。筆記試験を通過しても必ず面接で落とされる。何年も続けて面接で不合格になると教職への熱意が失われていく。
何が足りないのか、自分でもわかっていた。ある一線を越えなければ合格できないということは感じていた。だけど、自分の中に強いこだわりがあって、その線をどうしても越えられない。
教員としての人生を考え直そうと思っていた矢先、それを決定づける事件が起こった。まだ強烈な太陽が照り付ける9月の頃、運動会の「組体操」を練習していたときのこと。巨大ピラミッドを組み上げている途中で、授業終了のチャイムが鳴った。
教師が集合し、運動会担当の先生が口を開いた。「最後、もう一回やりますか?」と。本番までは時間がない。給食の準備を始めなければならない。難しい判断だ。そこで私は大きな声で「今日はここで終わりにしませんか。子どもたちは相当疲れています」と言った。しかし、練習の続行に反対したのは私だけだった。
幸運にも事故は起こらずピラミッドは完成したが、私は激しく苛立っていた。本当にこれでいいのか。普段は時間厳守を子どもに強いている大人たちが時間を守らない。教師の権力で子どもをねじ伏せた。これが学校という世界なのか。この一件でもう教師は続けられないと思った。
翌年、全国で組体操の事故が多発していることが明るみになり、組体操は廃止もしくは危険のない組体操が行われるようになった。あのとき中止を訴えた自分の判断は間違っていなかったと今でも思っている。
だが、教員採用試験に合格しているのはピラミッドを作らせた先生たちのほうなのだ。私が教師として越えられなかった一線はそこなのだ。鬼となって子どもを動かす気持ち。時には狂気と思える指導。どこか狂っていないと教師は務まらない。
私はその境地にたどり着くことができなかった。もし何かあったときに責任を取れるだろうか。その覚悟が無かった。採用試験の面接でもそういう部分を出していたかもしれない。全部見抜かれていた。そして私は教師をやめた。同時に公務員の肩書きも失った。
私の願い
「大学に行け」「公務員になれ」と言われ続けて親の願いを叶えた結果、私は何者にもなれなかった。親からすれば「この出来損ない」という気持ちだろうし、私にすれば「他の道を示してほしかった」という恨みがある。
この人生、すべて自己責任。目標もまともに決められなかった自分が全部悪い。いくら悔やんでも取り返しがつかない。私はもう人の親になることはできない。38年間きちんとした人間関係を築いてこなかったから。そんな私の思いをこのブログで綴りたい。
子供を幸せにできない親は親失格だと思う。親には子供を幸せにする義務がある。それができなければ産む資格がないとさえ思っている。
もし、子供を育てている人がこのブログを見ていたら、少しでもいいので私の思いを聞いてほしい。親は子供の特性を見誤ってはいけない。親が願っているだけの未来を押し付けてはいけない。
人間関係で困っていないか。友だちはいるか。悩みはないか。子どもの変化に気づいて適切な道を示してほしい。最終的に自分で進路を決められる人間を育ててほしい。
もうこれ以上、私のような人間が増えないことを願っている。
コメント
今の世の中がしんどすぎます…。
人には言えない心の叫びが伝わってきます。
つらい人生ですね。
これからも気持ちを伝えてください。
公務員になれって自分も親に言われました
死ぬ直前まで人生は何回でもやり直せると私は信じています。主さんが自分の満足した人生をこれから歩めます様に。
塾は簡単な筆記テストが行われ、担当を決められます
そのときにどんな授業をしたいか、語れるかを伝えることですね
家庭教師は登録すると、家を紹介され、親御さんとの会話もありきの、親御さんからの想いを汲み取りながら、テキストの勉強をお子さんの部屋で行う、みたいなのでしたよ
相性はそれぞれ、会社と親御さんで判断されたり、こちら側から要望も伝えられますけど
どの企業さんだったかは覚えていませんが、お試しで一人受け持ってみるのはよい経験かと
要は相手にどのように説明するかだけなので、心を空っぽにすれば、授業だけは進みます
昨今、健常者との違いを感じずにはいられませんが、考えずに集中できる職場はあるかもしれません
しみじみと読ませていただきました。親は子を私物化したらダメですよね。親に願いがあるなら、親自身が挑戦すればいい。「子のため」という言葉で自分の欲求を満たそうとしてしまいがちですよね。私には小2から引きこもっている20才の子がいます。あなたの親の気持ちも少しわかります。でも、その気持ち=子の幸せ じゃないんですよね、往々にして。 あなたの文を子の気持ちとして読ませていただきました。ありがとうございました。
僕も同じくらいの年で主さんの吐き出した想いには共感できる部分が多々あります。親の期待に応えようと頑張ったこと。親が子に強要したのは親自身の世間体の為だと気づいてしまったこと。ただ頑張りを認めてくれるだけでよかったのにそれが叶わなかったこと…。苦しいですよね…。
うーん。
過去にこだわりすぎじゃないですかね。
理想の自分がー、親がーとか。
過去に思いを馳せすぎると、今がおろそかになります。
積もる思いはあるでしょうが、前を向いていきましょう。